2023-01-01から1年間の記事一覧

年の瀬

今年一年ももうすぐ終わろうとしていますが、改めてちゃんと振り返ってみたいと思います。 まず、研究生活から見たときには、非常に多くの知見と創発の機会に恵まれた年になったと思います。学内誌での研究ノート掲載、学会発表をはじめ、公に自分が研究した…

いつか書きたい論考、「祭りと「狂気」」

博士進んだ時に、「祭り」の観点から見た精神病理について論文書く予定です。友人の推薦をきっかけに、ルネサンス期の人文主義者であるフランソワ・ラブレー、および彼の作品を翻訳した渡辺一夫を読んだことが主要な決め手となりました。ヒューマニズムの精…

言葉の「つっかえ」とはマブダチ

時折脳裏をよぎる「やはり自分が流暢に話せる言語は一つもないのではないか」という、考え。自分が相手の発言を理解したとしても、僕が日本語で伝えた内容は半分も相手に届かない。日本語を母国語とする者同士のミスコミュニケーションとは、また違うといっ…

「 (=日本)」:有象無象の〈ふつう〉が象る空虚な「世界」

もし愛国者が日本万歳と叫ぶならば、その人は最低限「日本(人)らしさ」の不可知性を強く意識した上で、かつその明確な輪郭の〈不在〉に母国の誇りがあることに強い信念を持つべきである。「日本最高!」は、「どっちつかずな我々」の中に至高性を認めるこ…

もう修論か、

ここ最近ですが、やっと修論の文献講読も全体の半ばまでいたり、もうすぐ執筆に差し掛かる段階まで来ました。テーマは、フーコーの思想から見た「理性の構成」となります。写真はその概要のダイアグラムというべきでしょうか。 いずれにしても、ぐずぐずして…

ソーシャルメディア:即席化した他者との交わりの場

You have a self-destructive destiny when you're inflictedAnd you'll be one of God's children that fell from the topThere's no diversity because we're burnin' in the melting pot Immortal Technique - 'Dance with the Devil' コミュニケーション…

ずっと僕の心を燻り続けるもの

今日において、家族とは一枚岩で単一的なユニットではない。むしろ複合的なポリティクスの場、自他の相剋の場なのである。ただし、移民した場合は、親と子で優位的な言語も変わりうる点で、また事情は異なってくる。これは常にそうだとは言い切れないが、少…

アンレビュード・レビュー:Andre 3000のソロ作のリリースを慶賀して

Andre 3000. かつて米国で一斉を風靡したヒップホップのデュオ、アウトキャスト(Outkast)の片割れとして活躍していたアーティストである。かのエミネムも、彼をトップ5のリリシスト(詩的な歌詞を紡ぎ出すラッパー)として尊敬している。そんなAndre 3000…

「外国語を学ぶ」という誤謬

よく「金さんが使ってる日本語の単語が難しい」と指摘されることがある。この原因として(こじつけかもしれないが)赤ちゃんの頃は韓国語が専ら行き渡る家庭環境だったからなのかもしれない。韓国(朝鮮)語は、日本語より比較的に漢語由来の語が日常的に使…

「神は国家なり」:異端的国家論断片

初めに国があった。国は神と共にあった。国は神であった。 この国は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 国なきもの、それは同じ発音、同じ言葉を語らないものである。…

ポストコロニアル的理性の虚しさ

私自身、未だ理解が拙いものはあるが、〈帝国〉の時代・世界を取り壊す戦略の形は次のようになるだろう。いわゆるポストコロニアリズムの理論において、〈抑圧者〉の言語と〈非抑圧者〉の言語の対立図式がある状況を打破するためには、その二元論の図式とそ…

根をもたないこと:「わたし」を否定的に構成していく生の営み方

とある大学院のゼミに先生だけでなく、その恩師にあたる方も時折参加するようなものがある。その日はミシェル・ド・セルトーの「神秘的な発話」が題材であった。その内容に則って、中世のスペインと19世紀ドイツにおけるユダヤ人の他性についても議論された…

表象の欺瞞、その2:「アクセントあるある」は他愛ない会話の一環なのだろうか

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネによる福音書 1:3)。 この聖句で伝えられているように、人の世界もまた、各自が言葉で伝えるものによって生成され続けている。しかし、その世界観は、私たちが使…

「虚ろいゆく」自分

今日において、家族とは一枚岩で単一的なユニットではない。むしろ複合的なポリティクスの場、自他の相剋の場なのである。ただし、移民した場合は、親と子で優位的な言語も変わりうる点で、また事情は異なってくる。 簡潔に説明すると、移民において、親と子…

表象の欺瞞:自己表象の要因としての「代理」

出だしから個人的な意見を述べることで、文章を書き始めることをご容赦願いたい。つまり、(日本人としての自己意識があるならば)どの人でも「日本人の礼儀正しさ・謙虚さ」という言葉を使って自己表象するならば、心の奥底で、「白人様、私たちはバカチョ…

ここからが正念場

フィクション理論の本だらけの写真。理由はちゃんとあって、「虚構」と「現実」の違いと境界線は曖昧で、完全に切り分けられないという前提がある。この前提を立てた目的は、狂気と言語の密接な関係性を指摘したフーコーの思考に則って、人間の理性(=正常…

「祖国のために、ふるさとのために」

国民とは、私たちの生来的な(生物学的な)身体に刻まれたもの、つまり国家が私たちの存在がその政治的共同体の中で成立していることを裁可する認印である。また、同時にそれに基づく国籍を何かしら持たなければ、私たちの身体は極めて自然的なもの(アガン…

どうしようもないひとり語り

今更ながら「一番苦しい時に誰もそばにいなかった。近寄るどころか遠ざけられた」ことで空いた心の穴が存外大きかったんだな、と気づく。休学していたとき。精神病院に入っていたとき。それが過ぎて3年経った今でも、心の穴が埋まる気配がない。「対人関係…

哲学、この憂鬱な営み

もし〈政治的なもの〉が秩序と規範が内包しうるものとその外部(≒例外状態)の境界線に基づく力の作用に関心を置いているならば、〈社会的なもの〉は感覚と認識の共通性から成る輪を構成するものとその外部(≒他者)の存在的差異に関心を置いている。 今日の…

権力に抗う意識の機能不全的な様態

この数ヶ月、日本の世論・言論ともに、岸田政権によるインボイス制度の導入をめぐり、論争があらゆる形で展開されてきた。総じて、このような情勢は日本社会における市民の政治的参加の形態が不十分な有り様を露呈する事象の一部であると考える。一貫して私…

知能指数(IQ)を知ること、および「ギフテッド」に対する理解の促進は、社会の分断を改善するのだろうか。

「ギフテッド」、その前はIQ(知能指数)という形で、現代人とされる私たちは、己の知能だけでなく、他人の知能のあり方にまで関心を示すようになった。それに伴い、「ギフテッド」というカテゴリーは近年の世相において、日常的な語彙のひとつとして語られ…

哲学の悦び

「哲学は百科全書的な旅 La philosophie, c’est un voyage encyclopédique 」。自分の信念はここにあると思う。自ずと、そのような旅路を歩んでいる自分の存在に気づく。そこからもう思惟の歩みはスタートしていた。 今まで国際関係論、政治学、社会学、哲学…

ジャニー喜多川の性加害事件を通して見る「無責任な社会」のあり方

ジャニー喜多川とその性加害。芸能界の在り方が瓦解していく兆しであると同時に、日本社会に固有の集団的なナルシズムが露呈されていくことを望む。以下、できるだけ簡潔に今回の事件について思ってきたことを述べたいと思う。 まず、ここでは、芸能界の展望…

「バーベンハイマー」:原爆をめぐる記憶のポリティクス

原爆投下は必要悪necessary evil であったとする言説を解体すべきという「抗い」の必要性は認識する一方、大日本帝国によるアジア地域の統治は欧米列強の帝国主義から解放するための必要善 necessary goodだとする言説を「守る」傾向も強い世論であるとも思…

政治哲学学会発表〈概要〉

既にお知らせした通りではありますが、来たる政治哲学研究会の第47回研究大会において、私の演題が採択されました。以前、お伝えしたような内容のままではありますが、簡単につまみの部分だけ再共有いたします。発表題目は、「ナショナリズムの生政治的転回…

生権力論における基本的了解:フーコーとアガンベンの対比を通して

(1) 生権力とは何か 生権力とはなにか。日常的にも、学術的にも特殊なこの言葉は、ミシェル・フーコーによるものである。フーコーによると、生権力とは、人の命を「生きさせるか死の中へ廃棄するという権力」(フーコー、1986:175)である。一概に言うと…

汚物な自分

「僕は、人間としての存在が汚れている。あまりにも、醜い。」そんなことが、無意識にもぼくという人間のあり方を作っていた時期があった。小3から小6まで、いじめを受けていたころだった。常にクラス内の男子のグループから、攻撃のターゲットにされていた…

建前と本音

昔話になること。 たとえ現実的ではないとはわかっていても、せめて「リベラル」な環境にいるならば、それにコミットすることに相応するだけの知的感覚と、知的な寛容さを僕の友人たちには持っていてほしかった。 条件反射的に、バズワードに反応したり、祭…

杞憂

「きっとみんなからしたら僕は、未熟で半人前にもなれていない中途半端な人間だ」とふと思うことはある。 ただ、同時にそれは僕自身が選んだ進路に対する思いについた「贅肉」のようなものであるのも事実だ。マッチョイズム的であるにせよ、その「肥えた」部…

「他者に丁寧で思いやりのある」人々の国のあり方

身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…:東京新聞 TOKYO Web この人物の来歴云々はともかく、記事構成の按配としては比重がよく取れているのでは、と思った。以下、精神疾患の哲学的探…