2022-01-01から1年間の記事一覧

2022→2023

2022年。いい感じで締めくくれるかと思いきや、クライマックスのところでいきなり最悪な出来事が転がり込んできて、何とも言えない感じです。大学院に入って研究に精を出す環境ができたのはいいものの、やはり家庭環境はあまり安定しないです。とはいえ、相…

Remnants of imperialism: Why should we bother with history?

Even today, historical awareness is never a foreign concept. The exclusionist dynamic works in favour of one who's home to the referent polity, but against those others who remain foreign within the same social space. In other words, Japan…

なんだかんだで腐れ縁

最近、昔見切りをつけた学問に結局救われていることを感じるようになった。 かつて、政治学・国際関係論を自分の「専攻」としていた。そこから離れた当初は「もういいかな」という気持ちだった。けど、今日立ち寄った古本屋さんでふと立ち読みした政治学の本…

改めて自己紹介

こんにちは。改めて、金 宇中(キム ウジュン)と申します。最近は研究漬けでありますが、一体どういった研究なのかつかみにくい、という方もいるかと思います。 以下、自己紹介も兼ねて、現時点で取り組んでる研究課題について簡易的に述べました。 自己紹…

「イマジネール」としての理性

単なる虚構を生み出す力でも、想像力でもない。むしろ、人間社会、および人間の思弁的諸相を紡ぎ続ける潜在的な生産力がイマジネールになるか。書影にある本の内容の主題である「イマジネール」を端的に述べるなら、そのように解釈ができるだろう。 ここで話…

齢26

今日、8月25日をもって、僕は26歳になりました。 もうアラサーかと思うと、なんとも言えません。老害みたいなことを書きつづけて来たからか、もっと歳をとった感じもします。 あいも変わらず、学生、そして研究生活は続いていくことかと思います。一生涯、ず…

トラバドール的な思惟

(写真はフェデリコ・エンリケスの著作。エンリケスは、ピアジェの『発生的認識論序説』の第一巻の冒頭でも言及されている20世紀初頭のイタリアの数学者です。) 夜中散歩しながら色々変なこと考えてしまいますね。まあ、そんな自分だから座りが良いのかも…

言葉から逃げる

もし、文法が「法」(law, loi) ならば、その「法」から逸脱した言葉には自由 (liberty, liberté) を謳歌するような、どこか悠々としたものを感じる人が多いと思う。つまり、言葉は逃走する (escape, échapper) ものだといえる。また、それは主体的な存在者で…

「知る」寂しさ

やっぱ、どんだけ他者と親しくても(としても)、物事の考え方とか、その認知の解析度の高低で、すれ違いがおきてしまう。標準となる対象を同じく定められているかの問題じゃない。感情の「共感」でも「共有」でもなく、互いの理性が「共在」しているか。知…

<民主主義>:「ふつうの人」の、「ふつうの人」による、「ふつうの人」のための世界

なにが「ふつう」で、なにが「特別」なのかを峻別する(差異を見出す)見方は、至って「ふつう」である。normal / abnormal, good / bad のいずれかを「決めなければならない」という必然性を感じるのも、また「ふつう」な感覚。何が言いたいかというと、こ…

いよいよ明日

性愛より友愛、その友愛のための隣人愛を育てる。 僕の研究のモットーであり、目指す先の到着地でもあります。 最近は、心の健康という観点から医学・病理学、そして生物学も勉強しています。精神疾患を人間学的に論考する上での基礎になるからです。 最終的…

研究計画(中間発表的なやつですね)

精神疾患の哲学を基軸に研究したい、とは言うものの、具体的に何を対象とするか、思想のベースとなるコンセプトは何になるのかがあやふやなままでした。 ですが、最近その具体性がはっきりしてきたので、中間発表(?)させてください。 まとめると、修士で…

「文系」と「理系」を越境する哲学を求めて

哲学のその普遍的な汎用性の広さに今更いちゃもんをつける様な文言はしたくない。ましてや、自分自身、哲学が何なのかすら分かりようがないので、この文で述べたこともまた意味を成さないものなのかもしれない。 だが、物怖じせず、敢えて言うならば、哲学至…

イメージの「構造」

ソシュールっぽく言うなら、見えるもの(le visible)と見えないもの(l'invisible)の「表象作用」(représentation*)がイメージだと思う節がある。 つまり、ソシュール言語学において、シニフィエとシニフィアンが恣意的な「関係性」(relation arbitrair…

哲学書の読み方、どっちもどっち

東京大学の書店が毎年選ぶ、学部生のマスト本百選みたいなものがあるのだが、その意図・選択の妥当性を巡り議論は絶えない。殆どが哲学書で、しかもその哲学者の本編の著作だらけだから、というのがことの発端らしい。実際、先月駒場に赴いたとき、渦中の構…

'Photographing' Curiosities : 好奇心を「撮る」

将来は外交官か新聞記者。政治と国際関係論を専ら学んで、他の学問には目もくれない。理数系なんて一生かかっても無理、絶対触れないでいたい。もし、そんな自分が、認識論、一般言語学、人類学、美学や科学思想をやってる今の自分の姿見たらなんて思うんだ…

哲学の「エル・ドラード」は何処やら

20世紀初頭の大陸哲学の流れで生まれた思想(バシュラール、ポワンカレ、ベルグソン、フッサールなど)を最近振り返ってみたいという意欲が湧いてきた。 近代から現代へと、時代も社会環境みパラダイムシフトを遂げていく過渡期で、散逸構造的に形成されたあ…

学生としての研究の最終ゴール

(少なくともピアジェ的な)〈認識論〉を徐ろに学び進める上で、 ・記号論理学(及びメレオロジー)、(部分的に)分析哲学 ・幾何学、代数学、位相論…等を援用した数理哲学 ・(構造主義的な)一般言語学、文芸理論 ・映画、写真、美芸理論に基づいた表象理…

「正気」と「狂気」の狭間で

「正気」と「狂気」の狭間。それは、「健常な」個人を規範的に工作し、「異常な」個人を無下に周縁化する規律空間としての社会への僕の反抗心を示している。 「健常者」であることによって見えない世界も広ければ、逆に「異常者」であるがゆえに見える世界も…

<認識論>の基本構想:To Sum Up (1)

<認識論>? ここで語られている<認識論>とは何か。あえて、括弧で括ったが、そこには意味がある。 それはまず、全ての哲学・思想を基礎づけるものであること。 Toute philosophie suppose une épistémologie, cela s'entend de soi-même : pour embrasse…

常識を「非常識」に捉え直すこと

昨日は、某国立大にて志願先の研究室の教授と面談をしてきました。 総じて、非常に手応えを感じられた有意義な時間でした。その後は、ツイッターで前から仲良くさせてもらってる相互さんと、駒場東大前にある河野書店さんにて合流。お互い本を手に取りながら…

あなたの欲望は誰のものか

みんながそうだった、というわけではないが、僕の身の回りでフェミニズム思想、およびその流れにおいて自由と平等の概念的な再構築を主張する人たちでも「家庭持って安定した生活したいから結婚はしたい」という人が案外多くいた。 しかし、婚姻が社会的に制…

言葉の本来性が淘汰された「コミュ力」

率直にいって、僕が何度もしつこく言葉の「モノ化」、あるいは言葉はコミュニケーションの「ツール」にすぎないとするナイーブな考え方を嫌悪するかというと、言葉の多義性に耐えられないとどんな事柄も本質的に理解することが難しくなるから。 だが、ほとん…

「対話的理性」を追い求めて

最近はひたすら、認識論と一般言語学の2つの側面をどう掛け合わせて、精神疾患を対象とした哲学研究をしようか考えている。 具体的には、次のとおりだ。一概して、精神治療法のあり方、医者と患者の臨床的な関係性、そして医学的権力を行使する主体としての…

言葉は喋れてなんぼなのか

語学の習熟度の図り方として、その根底の考え方には「喋れてなんぼ」という意識があるのかな、と思う。一般論としても、コミュニケーションのための手段として言葉を習得するというのがある種の「常識的」な見方とも言えそうだ。 小難しい言葉使うならば、そ…

クリスチャンの視線による認識論

〈創世記 1:27(口語訳)〉 「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」 * 最近だと、人は目に見えるものだけを認識できるとする実証的な科学像が常識的な価値観として受け入れられるようになっている。 …

今後について:研究的な側面から

すでに察しのついた方も大方いらっしゃるかと思いますが、僕は非常に精神が揺らぎやすい人間です。大学院での研究テーマは、皮肉にも精神疾患の哲学に根ざしたもので、ミイラ取りがミイラになるようなものじゃないかと思われるのも一理のある指摘ではありま…

イデオロギーとしての「健常者性」

現代人は己の理性が「健常」であることを信じて疑ってない。ちゃんといえば、「近代的な」現代人なのだ。自己に内在しうる異常性はほぼその認識の盲点に等しい。いわば、「おかしいやつ」は、たとえその人へのそのような印象が誤謬であったとしても、他人の…

新しい環境

地元に日常用の住まい。そこから電車で20分離れた場所に、自分の「研究室」の代わりになりそうな「別荘」となる住まい。この2つを我が家のものにしようという話が上がっている。 もし、そうなったら僕としては嬉しい。なぜなら、今まで住んでいたマンション…

悩みのふりこ

心の疲弊とは別腹であるかのように、頭の動きは緩くなることを知らない。そんな性分だから、いつも精神衛生的に良くない思考や、感情が込み上がってはいつも呑み込まれてしまう。できれば、頭を休めたい。だが、せめてブレーキの掛け方をうまく習得するのが…