2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

読みたい本リスト

認識論の勉強のついでに、そしてその余暇で読めたらいいなと思う本を並べてみただけ。 ✳︎ 1. Linguistique historique et linguistique générale(Antoine Meillet)2. Language and other abstract objects(Jerrold J. Katz)3. La notion de nombre chez …

ノマドロジー的認識論:基本的な構想、及びその発展性について

【「ノマドロジー的認識論」とは何か】 【〈映画的な〉眼差し】 【世界、あるいは〈イメージ〉の総体】 【終わりに】 【「ノマドロジー的認識論」とは何か】 『でも日本では「外国人だからこうだ」というキャラクターで理解して、その先の一人ひとりの違いを…

「眼差しの格差」:オリ・パラの事例を通して

オリンピック・パラリンピック(以下オリ・パラと略)の気味悪さは気のせいだろうか。私が思うに、オリ・パラの実態は以下の通りだ。健常者による障害者の「他者化」が儀式的に執り成されてる場としてのパラリンピック。そこは身体障害をスペクタクル化し、…

「メリー・クリスマス」という言葉の冷酷さ

メリー・クリスマス。この言葉をかけようとするたびに違和感を覚えたり、どこか突っかかりを感じてしまう。思わず言ってしまったら、僕の心の中にそのしこりがより凝り固まった形で残ってしまう。以下、その残滓の実相はなにかについて述べていく。 言わずも…

成長:「原本」が欠けた、「キャッチ・コピー」

「成長とは何か」という問いに答える前に、いつしか「自分/相手は成長しているのか」、「どのように成長するか」という問いが先行してしまっている。根源的な問いの解がない上で、成長を語るにも限界があると思われる。そのように考えている中、ジブリの宮崎…

世界:(ィンター・ネット∽社会)∈(人間/技術)

1. テクノロジーが個人の主体性、存在様式から有機的な人間関係までも支配する今、SNSという無線網と、人間が弁証法的な「抗争」に置かれている。つまり、私たちの一つ一つの主体的な経験が、オンラインの投稿という形で電子記号化されていくことは、「主た…

自然と文明の相克

1. 人間社会、あるいは絶対的な「王権制」 時間通りに学校・職場に行かなければ。日頃の労働を支える交通インフラ。お腹が空いたら、ご飯を作りたい。そんな時に消費する電力や水道システム。暇だ、何か映画でも見ようか、それとも音楽に浸ろうか。そのよう…

認識論を広めていくために何を考えるべきか

僕「哲学をこれからやりたいんだー」友「そりゃな〜。どういう哲学?」僕「(省略)科学とか合理性のあり方に焦点を当てようかなと」友「うんうん」僕「そんで科学哲学の研究室で認識論をやろうと考えてる」友「ふぁ?科学??哲学??認識論???」*という話の展開…

「享楽としてのいじめ」理論の可能性

今でも、僕の心の中では入学してから卒業するまで6年間続いた小学校時代のいじめのトラウマが残り続けている。それが今でもぼくに悪影響を与え続けている。このように、精神分析を通していじめを理解する際に若干の恐怖心はあったものの、いざ文字に書き起…

'The Metamorphosis', or an Allegorical Story of Moral Dilemma

"My dear parents," said his sister, slapping her hands on the table by way of introduction, "things can't go on like this. Perhaps you don't realize that, but I do. I won't utter my brother's name in the presence of this creature, and so a…

規律と自由:「個」と「全体」の抗争

僕の思弁的世界を、一義的な「グローバル」や「ローカル」で形容することができない。それらはある意味「固形化された主体」の根源だから。いうなれば、それはもっと不定形で「液状化した主体」が常に浮揚する場である。だからか、「和」の共同体、あるいは…

認識論へのさらなる目覚め

新年明けましておめでとうございます。改めて、僕はいつもと変わらないごく普通の日常的な一日を過ごしています。 院試まであと7ヶ月、色々やることもさながら準備すべきことも山積しています。そんな僕は、これからは科学哲学を専門にしつつ、学際的なアプ…