cultivate:地/知を耕すこと

 「研究には、早い段階からハビトゥスがあるとやりやすい」という大学教授の言葉がどことなく流れてきたが、それを見てどこか複雑な気持ちになった。 

 (個人的に見て)僕がやってきたことは結局何だったのかな、という気持ちと、それを受け入れてくれる人たちがその人を囲む環境にどれだけいるのか、という気持ちが混ざっている。

 ただ、業績の数と社会的なインパクトの度合いで自分の価値が見出されるのは、自分が望んでいたことではなかった。今いる場にこだわる必要もない。何かを学び、それを言葉として綴ることぐらいは、生活の中でも続けられるはず。

 ふと、農耕することと、文化的視野を拓いていくことのいずれもcultivateという語で言い表されることを思い出す。農作の収穫を蓄えることと、人間が文化的発展する上で知性を集合的に蓄積してきた路程が似ているのだろう。つまり、知性を啓くことと、日常生活の充足は、互いに地続きであるべきではないか。

 僕が修士終わった後、次の場がどこに移るかはわからないけど、自分の好奇心と自由を維持しながら、生きていければいい。周りの視線と流れに、自分が持っていかれないように。