表象の欺瞞、その2:「アクセントあるある」は他愛ない会話の一環なのだろうか

 「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネによる福音書 1:3)。

 この聖句で伝えられているように、人の世界もまた、各自が言葉で伝えるものによって生成され続けている。しかし、その世界観は、私たちが使う言葉そのものに対する認識の形式によっても象られている。それは、良くも悪くも、である。今回は、その中の一つとして、アクセント・バイアスの問題について言及したい。

 私が記憶する限り、自分の出身である早稲田の国際教養学部は、こういった「アクセント」に基づく「あるある」を話題にしやすい環境であった。ただ、それは言葉の「美しい音」、「醜い音」を峻別するような悪しき潮流であったと考える。そのようなアクセントの「品定め」だけでなく、帰国子女の人間がインド訛りを滑稽に真似したりといった「茶化し」は日常茶飯事だった。

 一体、これの何が問題なのか。インド訛りを「真似する」帰国子女は、英語という普遍化された「公用語」が「代理」になることで、その地域の訛りを喋る人々を「洗練されていない」、言ってしまえば「未開の」訛りを喋る人々として表出させることの暴力性に無自覚なのだ。すなわち、「中心的な」文化・言語へのアクセスを持つ特権的な人たちは、そのような表象の力学に無頓着なことが多い。自らが語る「他者像」がその指示対象にもたらす周縁化の作用に無頓着なままである。

 それに加えて、本人たちはそのような「中心」の言語・文化を享受るすることで同時に保証される己の生の営みの安定性にも無自覚なことが多い。かくして「中心的」な言語と文化が社会的に予め付与されている立場においては、その他の生の様式を生きる人々にとって「ふつうなこと・もの」から奇異な要素を抽出することもしばしばなされる。そして、「持てる者」が生来的に所有するものから生来的に疎外されている立場にいる人間は、前者によるエキゾティシズムの対象に留まる。そこから抜けるために同じものを得るにも、社会的な障壁は高くそびえ立つのだ。

 また、このような「中心」−「周辺」の構造的格差に由来するアクセント・バイアスが無垢に再現されることで、「規範的な訛り」は「美しい」、すなわち英語の場合は「本国の」訛りが正統だという認識を無批判に強化する。そして、その他の地域の人々の英語の訛りは「未発達なもの」、「外れ値」として無自覚に侮蔑する対象となる。もし、これが自国内の方言の差異について言及しあうような場合であれば、自他間の社会構造的な不均一性は、比較的露呈しにくいだろう。むしろ、「方言ネタ」には、中央の「標準語」に対する抵抗的なスピーチの形として効力を発揮することもできる。しかし、それが英語という、もとい国語 national language だったものになると、却ってその「中心地域」の訛りを崇高なものとして美化しやすくなり、その「周辺的」な訛りは卑しいものとして認識されやすくなる。よって、「標準語」の権威性を暗に正当化する作用が、アクセント・バイアスにも反映されやすくなるのだ。

 そして、そのようなリベラル・アーツ教育を受けた私たちは、オリエンタリストの世界観をいとも簡単に再生産する担い手になったまま、世に出ていく。日頃から人種の多様性を尊重することに則った学の精神を謳う校風の人間が、一方で非西洋な「周辺」地域の言語に関心を示さないどころか、彼らの言語的特性を「エンタメ」として消費するような二枚舌な価値観が、この学部には蔓延っていたように思える。

 こういった側面で「政治的な正しさ」に忠実でいるべき、というとただの「面白くないマジレス野郎」の戯言にしかならないのだろうか。少なくとも、そういったどっちつかずな正義感に無頓着でいれるだけの西洋的な「中心」の文化に入り浸った彼らには知ったことではないだろう。国教生だったならば、こういった問題を少しでも内省的に考える必要があったことだ。さもなければ、たとえ人生の半分を海外生活に費やしたとしても、その意識のあり方は極めて「名誉白人」的な姿を留めるのである。学部生のとき、僕自身からもこのような「ダブスタ」と真正面に向き合うべきだったし、当時の友人たちと衝突することを承知の上で真摯に議論すべきであった。本当に後悔している。