根をもたないこと:「わたし」を否定的に構成していく生の営み方

 とある大学院のゼミに先生だけでなく、その恩師にあたる方も時折参加するようなものがある。その日はミシェル・ド・セルトーの「神秘的な発話」が題材であった。その内容に則って、中世のスペインと19世紀ドイツにおけるユダヤ人の他性についても議論された。その中で、その先生の恩師の方が「教え子が在日だというアイデンティティーを持っていて、だからユダヤ人の問題に関心を持っていると言ってましたね」と言っていた。その時、私はなぜかその言葉に自ずと心の中で燻られるような感覚を覚えていた。

 今日に至るまで、はっきりとした認識に基づいて私自身とユダヤ性を結びつけたことはなかった。しかし、その話の流れからして「自分ごと」でありえたかもしれないと感じた。つまり、私にとっての自己の形成の仕方としての〈ユダヤ性〉がありえたかもしれないと思ったのである。確かに、少なくとも幼少期からずっと「普通の生」の形式から隔絶された環境にいたのは紛れもない事実である。「ふつうに生きること」の枠組みが支配的な空間で生活しながらも、社会的には疎外されている状況の中に放り込まれていると、些細なことでもずっと考えていないといけない人間としての自分の姿は不可抗的にも出来上がりやすい。

 兎にも角にも、生来的に「ふつう」から漏れた生の事実とその証言は、今日でも異端の烙印を押すことを正当化する確固たる証拠にしかならない。
結局のところ、「ふつう」の生を生きることとは何を意味しているのだろうか。冗長な言い方をすれば、それは「ふつうに考えたらね、」、「ふつうならば◯◯なことするわけないよね?」といった文言の渦の中に身を委ねることである。後述するように、そのような発言・考え方の基底にあるのは、それぞれの共同体の脊髄となるネイション概念である。

 また「ふつうの人」として生きることは、社会に用意立てられた外因性を参照点として、「自分とは何者なのか」という問いの到達点が見えていることも意味している。言い換えれば、そのような共同性に自己を還元できること、「根をもつこと」が「ふつうの人」の条件なのである。一方、私はそのような「根」を下ろす場所がない。私は、実体もなく、根無し草のようにひたすら漂流していくだけなのである。

 なぜ、私は「根無し草」なのか。それはマジョリティーにも、マイノリティーにも自己を還元し得ないからである。近年、日本社会においてもさかんに論じられるようになった人種差別の公論においても、私は終始「部外者」なままである。というのも、その中で反差別の声を挙げて、「日本人」の認識論的な不正義を告発できるのは、依然として「目に見える」差異に起因する差別体験を被った「当事者たち」に限られているからだ。

 再三となるが、そのような言説の主語に来るのは、(目に見える)「よそ者」の属性である。だが、そこに内在する固有性は、視覚的な差異に基づいており、その問題の「当事者」なはずな私は(見た目は「日本人」と変わらないがゆえに)」その議論の部外者になる。すると、日本人として「見られない」自分に対する社会の不正義に憤っているはずの彼らもまた、可視化されない差異にも起きている差別の現状は顧みないというダブルスタンダードな社会正義の形が「真正なる」抗い方として受容される。

 多かれ少なかれ、社会に用意立てられた外因性を参照点として、「自分とは何者なのか」という問いの到達点が見えている。それによって、そのような自己と他者との間には「本来なら」共同性があるはずなのに、それでも自分は構造的に抑圧されている。よって、(私にとっての)「彼ら」は気づいていなくても、その反差別の姿勢は、日本という「ナショナルなもの」に帰属する権利の承認への意志の表れになる。

 はたして、差別の語りと視覚中心主義が結託していることに無批判なまま、「人種」差別を語り続けることは可能なのだろうか。また、そのような差別への抗い方にも、その原点となる認識は自集団にとって最適化されたものであるがゆえに、全体で見たときには誤謬となっている要因も混ざっているのはないだろうか。もとい、ここで言われるような反差別の前提には、ネイション概念に基礎づけられた自己と他者の構図が措定されていることが殆どだ。その枠組から徹底的に排斥された私は、その中の「わたし」でも「あなた」でもない。

 一概に言って、私の人格は常に「三人称的」であり、人となりが不確実な「誰かさん」としてしか成立し得ない。だから、私は常に自分の中に構えている「内なる〈ユダヤ性〉」について常に思惟しなければならない。したがって、(常に公正な観点を持つ者になりえないのは明らかではあるが)無党派的な形式でのみ、私にとっての「わたし」は構成される。繰り返しとなるが、この「わたし」は仮構的に存立するものでしかない。私という人間に付与された「わたし」は、至って虚構に等しい。しかし、その口から語られる〈声〉とは、私の自伝的な生の形式について陳述するために開示された〈真理〉と同等である。

 人生の早い段階から、私が共同体の伝統や慣習、共通認識やその場ごとの「ふつうならば」という感性に馴染むためのアクセス手段は生来的に遮断されている。だからこそ、僕は第三者的に知り、考えるという「特権」を享受できる。しかし、その視点も最終的には、「ふつう」の権威性の前では灰燼に帰する。とりわけ、多様性が叫ばれる今日なら、尚更そうだ。多様性とはいえ、「ふつう」の輪の中に包摂される対象を拡張することが最優先の命題なのだから。

 今もなお、半世紀前にサルトルが提起した〈ユダヤ人〉の問題は、いつの時代、どの社会でも引き継がれた「未解決事件」として現代社会の世相に憑依している。結局のところ、私はネイション的な「わたし」と「あなた」の構図から跳ね除けられた三人称的な、そして不特定の「誰か」にしかなれないのだ。このようにして、〈フィクション〉として作成されたはずの「わたし」でも、己については〈真理〉を語れる。なぜならば、私という人間もまた「生の事実」が常に記述されていく「書物」としての人間のあり方の例外ではないからである。そのなかに保管された記録に対する私の言及は、同時に私自身についての「真実」の証言なのである。