ここからが正念場

フィクション理論の本だらけの写真。理由はちゃんとあって、「虚構」と「現実」の違いと境界線は曖昧で、完全に切り分けられないという前提がある。

この前提を立てた目的は、狂気と言語の密接な関係性を指摘したフーコーの思考に則って、人間の理性(=正常性、つまり「ふつうな人」というイメージや、「常識」といった日常レベルのものとする)は「真なるもの」として想像された〈フィクション〉だと、時間がかかっても論証していくことにある。

また同じ流れで、この〈フィクション〉の哲学を、政治哲学にも援用したいと考えている。現段階では、国家、ネイション的共同体に基づくシステム、およびその一形態としての民主主義の正統性を保証する言説にも、〈神話思考〉(カッシーラー)や、〈擬制〉(ファイヒンガー)の観点から考察しうる余地が大いにあると見ている。

確かにこれは、一つの大きな仕事だと言える。だけど、ここで展開されていくだろう思考の展開が楽しみでもある。修士〜博士課程終了時まで、このテーマと構想をさらに具体化して随時成果にしていきたいと考えている。今後の研究人生をしっかり歩む上での達成目標としたい。