2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

生権力論における基本的了解:フーコーとアガンベンの対比を通して

(1) 生権力とは何か 生権力とはなにか。日常的にも、学術的にも特殊なこの言葉は、ミシェル・フーコーによるものである。フーコーによると、生権力とは、人の命を「生きさせるか死の中へ廃棄するという権力」(フーコー、1986:175)である。一概に言うと…

汚物な自分

「僕は、人間としての存在が汚れている。あまりにも、醜い。」そんなことが、無意識にもぼくという人間のあり方を作っていた時期があった。小3から小6まで、いじめを受けていたころだった。常にクラス内の男子のグループから、攻撃のターゲットにされていた…

建前と本音

昔話になること。 たとえ現実的ではないとはわかっていても、せめて「リベラル」な環境にいるならば、それにコミットすることに相応するだけの知的感覚と、知的な寛容さを僕の友人たちには持っていてほしかった。 条件反射的に、バズワードに反応したり、祭…

杞憂

「きっとみんなからしたら僕は、未熟で半人前にもなれていない中途半端な人間だ」とふと思うことはある。 ただ、同時にそれは僕自身が選んだ進路に対する思いについた「贅肉」のようなものであるのも事実だ。マッチョイズム的であるにせよ、その「肥えた」部…

「他者に丁寧で思いやりのある」人々の国のあり方

身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…:東京新聞 TOKYO Web この人物の来歴云々はともかく、記事構成の按配としては比重がよく取れているのでは、と思った。以下、精神疾患の哲学的探…

汝自身を知れ:「王」を知ること

歴史家、エルンスト・H・カントーロヴィチによると、「王」というものは自然的身体 body natural と、政治的身体 body natural の二面性から成り立つ。「神的」なものとされているのはもっぱら後者であり、前者はごく普通の人間の身体と同じものとされている…