汚物な自分

「僕は、人間としての存在が汚れている。あまりにも、醜い。」そんなことが、無意識にもぼくという人間のあり方を作っていた時期があった。小3から小6まで、いじめを受けていたころだった。常にクラス内の男子のグループから、攻撃のターゲットにされていた。それに加えて、そうではない周囲のクラスメートからも、無視されたり、陰口を叩かれたりする。フィジカルな暴力を受けたり、精神的な暴力を僕の目の前で振るわれたりと、毎日が滅茶苦茶だった。僕という一人の人間が、残りの30人近くのクラスメートたちから集団でありとあらゆる攻撃を受けている地獄のような月日があった。

 

こんな話を長々と綴る意味もないだろう。ただ。間違いなく、あのときの経験、そして感じてきたことは、今年で27歳になる頃合いになっても、筆舌に尽くしがたいトラウマのまま居残っている。自分は醜い人間だ。自分は他人の数百倍劣っている。自分は、誰にとっても存在価値の認める要素がない、文字通り「何もない」人間だ。そのような感情が、僕の心と考えを支配し続けている。その痕跡のようなものを、日頃の僕自身の挙動から感じ取ってしまうことも屡々だ。お世辞にも、僕自身の「変わり者」な側面をポジティブに受容できるとは思えない。無理に忘れようとすると、その分の反動が襲いかかる。無理に美化しようとすると、自分に対する虚しさが僕の心を包み隠す。

 

無論、この痛みは自分にしかわかりようがない。どれだけ親しい友人がいたとしても、この経緯の話になれば、ただの赤の他人でしかない。誰に囲まれても常に孤独な感覚。どれだけ努力しても、決して満たされることのない感覚。どれだけ今が良い方向に変わっていても、昔の自分が執拗に追いかけてくるような感覚。世界のどこにいても、「汚物の自分」はつきまとってくる。いつまで、このイタチごっこは続くのだろうか。