研究状況まとめ(22年10月〜23年1月)

f:id:wjk_9625:20230128000358j:image
 10月初頭は、オープンダイアローグにおけるバフチンベイトソン研究の可能性について構想を試みた。文献調査を通して、ベイトソンバフチンそれぞれの著作(両者とも英文にて)を読み、具体的な展望を見出そうとした。

 しかし、結果としては、「ベイトソンバフチン」を一つの前提として据えて、二年間で書き上げる修士論文のテーマを模索することは難しいという結論になった。なぜなら、ベイトソンによる自然科学、及びプラグマティックな系譜を汲んだシステム論と、バフチンによる文学理論に基づいた他者論の両者を交差させる上で、膨大な基礎研究を複合領域的に会得しなければならない上、修士課程で形にするのは極めて難しいものになると判断したからである。

 以上の判断を踏まえて、私はオープンダイアローグを依然とテーマに置きながら、従来の精神医学においては「患者」とされてきた人々を対象とした身体論を探求する道を考えた。つまり、ODのセッションでは「当事者」に値する人(たち)の身体が、精神医学では、医療的権力が行使される(唯物的な)対象として形成されてきた過程について探求を進めることを考えている。

 具体的には、後期フーコーの著作・講義録をもとに生権力がどのように論じられてきたかを検証する。さらに、統治される対象としての「身体」として、「患者」を作り上げる仕組みについて、N・クロスリーやB・ターナー等の社会現象学的な視点から検証していくことを試みる。これらを踏まえて、フーコー『性の歴史』、その他関係する社会学の文献を調査しながら、ODにおいて、「患者」は、いかにして「脱=患者化」された姿で、人道的に対等な立場で治療に参加できるのかについて論考していく。