ずっと僕の心を燻り続けるもの

 今日において、家族とは一枚岩で単一的なユニットではない。むしろ複合的なポリティクスの場、自他の相剋の場なのである。ただし、移民した場合は、親と子で優位的な言語も変わりうる点で、また事情は異なってくる。これは常にそうだとは言い切れないが、少なくとも僕の場合はそうだった。

 僕の場合、日本に住んで30年ぐらい経っても「韓国語の世界」を生きる両親と、幼少期から「日本語の世界」で生きている自分とで、ちょっとしたことでも分かり合えるのは難しいと感じる。お互いの世界で、そして同じ生活圏でもそれぞれ経験してきたこと、見てきたものも全く違うからそう考えること自体野暮ったいのだが。外国で暮らしている以上、家族でそういった「そもそもの」時点から齟齬しあうのはしょうがない。

 僕は幼稚園からずっと、現地の(つまり日本人の)学校教育をずっと受けてきた。その過程の初っ端から、周りからキムチ野郎呼ばわりされ、「韓国人が遺伝的に劣っているのは科学的だから」とも言われる。帰省した際に、現地の同年代と関わることがあるたびに、韓国語が下手だから彼らにはパンチョッパリ(半分日本人)と罵られる。在日の人にも「こいつは違う」といった形で敬遠される。どの地域で安心して暮らすにも、それだけで僕は「国賊」として切り捨てられた気分だった。

 また、もとい僕の出自でもないけど、ミックスルーツの人たちからも「破門」されている。「なんで私たちに連対しないんだ」、「お前の差別問題の見方は、むしろ差別を助長する。縁を切るわ」、「私たちのことをパスポートでしか見てないよね。街中で見た目のせいで警察に職質された経験ないでしょ?」、と。

 小さい頃に日本に住みながら「キムチ野郎は近寄るな、息するな」、そして韓国に戻ると「お前はここで生まれたにしても日本人だね」「お前のようなチョッパリウリナラを苦しめたんだ、恥を知れ」と言われなかったら、まだ楽に生活できてたのかな。それに僕の〈声〉は、肌の色が違っていたら説得力があったのだろうか。そんなことは、今でも多かれ少なかれ心の中で抱えこんだままである。

 そんなことを母親と小一時間ほど、そして僕が思ってきたことについてひたすら話した。「ここまでくると、国籍変更も手段かもしれない。けど、あなたのことだから研究もっと頑張ってヨーロッパに行くなりした方がいいと思う」と母は言う。結局ここから離れるしかないのは同感。

 この国にずっといて悩みを燻らせるならばいっそのこと縁もゆかりもない土地で完全な異邦人として生活してみると、また見方が変わるのではないか、という意味合いだった。それは僕も母も同じことを考えるしかないという一旦の結論に。海外でも活躍できるべく、やることを不備なくこなしていこう。