研究メモ:社会の身体

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写真は、博士課程に進んだ際に取り組もうと考えている、研究テーマ乃至その構想の一部である。以下の文章は、その背景となるものとして載せておく。

目的:ハーバーマスルーマンの論争を踏まえて、公共空間の科学的な変容を考える。

背景:

数十年前までは、紙媒体を介して情報を得ることで「三次元的」に社会と言論に参与するのが普通だった。しかし、ソーシャルメディアが一般的な現在では、電子媒体を介することで「二次元的」な形の参与が主流となった。

この意味で、参与の次元は一段階下がったといえる。そして、大衆はほぼ普遍的に「(可能的にも)言論人」となった。もともと諸個人と社会の有機的な「つながり」で成立していた言論が、科学技術によって、より無機質で記号的な再現性を伴う姿へと変容した。

問題の設定:

この変容しうる公共空間が、現代社会にとってその「身体」に値する。この「身体」は自然的、つまり裸の状態である。しかし、その「剥き出しの生」を生きているのは個々の人間なのか、あるいは社会そのものなのかで、その生態の探求の仕方、認識のあり方が変わると思う。

故に、ここでも「主体は誰なのか」という問いから始まるべきだ。つまり、何が主題なのか(What is the subject matter?)ばかり問うのではなく、問題となる主体は何か(What is the subject that matters?)も問わなければならない。自明的かもしれないが、主体が不在した問いは、屡々迷走しやすいのだ。

対象:

ハーバーマスルーマン論争

ガタリによるスキゾ分析

フーコーによる主体論

…その他

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