大学院生活、早すぎるが振り返る


いろいろ一喜一憂するような三か月でした。それより、思ってたより心的エネルギーの消耗が激しかった三か月だったと思います。


10月に入学して以来、今日に至るまで忙しなく日々が過ぎていく生活を送っています。入学してまず最初にチャレンジしたのは、東大内の卓越プログラムの受検。一次試験は突破したので、「これはいけんじゃね?」と思いきや、二次の面接で玉砕しました。

しばし、打ちひしがれていましたが、タイミングよく、研究室の先輩とご一緒にお食事しつつ、学内を案内してもらえることに。その際に話した内容がきっかけで、立ち直れました。

その間、院の授業のスタイルにも慣れていきました。発表がある授業では、事前に自分が指定した文献を読んだうえで資料作成します。あたりまえだけど、ここまでは大学生。だけど、院に入ったなと実感したのは、授業に参加する皆さんの議論の熱量に圧倒されたことでした。

そして、議論を重ねる中で、自分って文章そんな「読めて」なかったなと痛感したのでした。哲学研究する上で、単純に字面を追うだけではダメなのだ、と考えさせられたのです。それ以来、哲学的テキストを「読む」訓練、つまり文献が踏まえている理論的背景、筆者の自伝的な側面といったものを総括した上で、一つの文章の一文一文を細かく裂いていく読み方をすることを心がけています。

あとはなんだろう。やはり、自分が何を研究したいのか、という問いを立てることの意味が分かってきたのも大きな収穫だなと思います。基本的なことに見えますが、正直この部分が一番難しいと思います。今も苦戦してますし、今後もしばらくそんな感じでしょう。ただ、ちょっとずつ、学術的なまなざしを向ける上でのコツだとか、ポイントはつかめるようになってきてるという実感があります。

今までは、やみくもにただ殴り書きするように文章書いたり、入り乱れる流れで文献や本を読んでましたが、そこでもターゲットを絞って意識的に読むスキル、およびそれを成果にするために論文にするための作法を学ぶ場なのだな、と徐に感じ始めています。今後は、学会での発表や、論文の投稿、そして修論の執筆に向けてなおさら忙しくなりそうですが、なんとか無事にサバイブして博士課程につなげられたらと思います。

以上、大学院生活の報告でした。