ソーシャルメディア:即席化した他者との交わりの場

You have a self-destructive destiny when you're inflicted
And you'll be one of God's children that fell from the top
There's no diversity because we're burnin' in the melting pot

Immortal Technique - 'Dance with the Devil'

 コミュニケーションは加速化している。それは、オンラインの世界が日常化したことの恩恵なのだろうか。それとも、現代社会にあらゆる区画化を推し進める「分断」の根源なのだろうか。

 今の時点で、これに対する解、およびそれに通じるような示唆を提示しようとは思わない。少なくとも、加速化したコミュニケーションが、自分と他人との距離感を直接的なものにしたことで、他者を知ること、そしてその存在を無境界的に感じられるようにはなったとは言える。

 しかし、そのような無礼講さながらのコミュニケーションは、そのような他人を憎悪や中傷を浴びせることを最も容易くできるようにもした。他人は「ヒト」ではなく、ただの「記号」である。自分以外の「人間」は存在しない。多かれ少なかれ、そんな独我的な世界構造を生きるのが現代的な主体の姿と言えよう。

 また、その主体の内面は皮肉にも、急速な進化と変容を遂げた科学技術が操るカラクリ人形のようなものである。我々個人は、自分にとっての「小さな物語」を証言しているようでも、その基底となっているのは、社会が腹話術的に語りかけている「大きな物語」である。

 実に物騒な世の中だ。そうなってくると、顔も知っていてそれなりの信頼も誼もあれば、話したいことは肉筆で書いた手紙のやりとりの方がよっぽど健康的じゃないか、と思い始めた。コミュニケーションが加速化した現代社会だからこそ、ペンパル的な存在は「今どき」らしいと思った。

 オフラインの会話や交わりが産んでいた文化や社会を同時代的に生きていたわけではない(年代的に無理だ)。とはいえ、生きたこともない時代への「懐古厨」になりやすくなったのは、即席的なコミュニケーションに疲弊したからなのだろうか。

ずっと僕の心を燻り続けるもの

 今日において、家族とは一枚岩で単一的なユニットではない。むしろ複合的なポリティクスの場、自他の相剋の場なのである。ただし、移民した場合は、親と子で優位的な言語も変わりうる点で、また事情は異なってくる。これは常にそうだとは言い切れないが、少なくとも僕の場合はそうだった。

 僕の場合、日本に住んで30年ぐらい経っても「韓国語の世界」を生きる両親と、幼少期から「日本語の世界」で生きている自分とで、ちょっとしたことでも分かり合えるのは難しいと感じる。お互いの世界で、そして同じ生活圏でもそれぞれ経験してきたこと、見てきたものも全く違うからそう考えること自体野暮ったいのだが。外国で暮らしている以上、家族でそういった「そもそもの」時点から齟齬しあうのはしょうがない。

 僕は幼稚園からずっと、現地の(つまり日本人の)学校教育をずっと受けてきた。その過程の初っ端から、周りからキムチ野郎呼ばわりされ、「韓国人が遺伝的に劣っているのは科学的だから」とも言われる。帰省した際に、現地の同年代と関わることがあるたびに、韓国語が下手だから彼らにはパンチョッパリ(半分日本人)と罵られる。在日の人にも「こいつは違う」といった形で敬遠される。どの地域で安心して暮らすにも、それだけで僕は「国賊」として切り捨てられた気分だった。

 また、もとい僕の出自でもないけど、ミックスルーツの人たちからも「破門」されている。「なんで私たちに連対しないんだ」、「お前の差別問題の見方は、むしろ差別を助長する。縁を切るわ」、「私たちのことをパスポートでしか見てないよね。街中で見た目のせいで警察に職質された経験ないでしょ?」、と。

 小さい頃に日本に住みながら「キムチ野郎は近寄るな、息するな」、そして韓国に戻ると「お前はここで生まれたにしても日本人だね」「お前のようなチョッパリウリナラを苦しめたんだ、恥を知れ」と言われなかったら、まだ楽に生活できてたのかな。それに僕の〈声〉は、肌の色が違っていたら説得力があったのだろうか。そんなことは、今でも多かれ少なかれ心の中で抱えこんだままである。

 そんなことを母親と小一時間ほど、そして僕が思ってきたことについてひたすら話した。「ここまでくると、国籍変更も手段かもしれない。けど、あなたのことだから研究もっと頑張ってヨーロッパに行くなりした方がいいと思う」と母は言う。結局ここから離れるしかないのは同感。

 この国にずっといて悩みを燻らせるならばいっそのこと縁もゆかりもない土地で完全な異邦人として生活してみると、また見方が変わるのではないか、という意味合いだった。それは僕も母も同じことを考えるしかないという一旦の結論に。海外でも活躍できるべく、やることを不備なくこなしていこう。

アンレビュード・レビュー:Andre 3000のソロ作のリリースを慶賀して

Andre 3000. かつて米国で一斉を風靡したヒップホップのデュオ、アウトキャストOutkast)の片割れとして活躍していたアーティストである。かのエミネムも、彼をトップ5のリリシスト(詩的な歌詞を紡ぎ出すラッパー)として尊敬している。

そんなAndre 3000が、日本時間の深夜に初めてのソロ・新作をリリースした。2006年に最後のアウトキャストのアルバムをリリースして17年経ったタイミングで日の目を見ることになった。しかし、ここでは一切ラップを披露していない。一時間にわたり、アンドレが奏でたいように奏でる音。あらゆる柵から解き放たれ、自由を謳歌し空を飛ぶ鳥のなびく羽のような流れ。

最新のGQインタビューでも彼は語る。「俺自身が最良で最悪な批評家なんだ。だから、俺は自分が感じていることに取り組んでいる。なぜなら、感情は自分がいまやっていることのバロメーターだからさ」。そんな彼だからこそ、時間の流れや、彼が取り組む音楽のトレンドに囚われることなく、自分がわくわくするような至福に満ちた音を奏でることができたのだと思う。

 

youtu.be
そんな彼の生き様、クリエイティブな精神には、鼓舞されるものがある。僕の場合は研究だが、今の時期だと専ら「俺はこれを世に知らせたい!」、「この使命を果たす必要がある」といったような(ある種の)邪な思惑が淀めく中で臨んでしまっている部分がある。しかし、この営みを続けていく中で、自分にとって幸せを感じられるような研究の姿とは何になるのか?については模索し続けたい。

「外国語を学ぶ」という誤謬

よく「金さんが使ってる日本語の単語が難しい」と指摘されることがある。この原因として(こじつけかもしれないが)赤ちゃんの頃は韓国語が専ら行き渡る家庭環境だったからなのかもしれない。韓国(朝鮮)語は、日本語より比較的に漢語由来の語が日常的に使われやすい言語かもしれない。

例)
日本語:譲る、(性格が)冷たい、しつこい
韓国(朝鮮)語:譲歩する、冷酷だ、執着する

ハングルで表記された後者の語を漢字に置き換えると上のようになるだろう。私が見る限り、日本語の「堅め」な語彙が、韓国語では日常的な「ふつうの」語彙であることがしばしばあるように思える。

ところで、韓国語と日本語は確かに文構造は酷似していて学びやすいかもしれない。しかし、それぞれに根付いた言語感性からして、互いに全く異なる言語だと言えるだろう。同じ概念を同じ言い方をするとは言っても、互いの表現の仕方は合致することは中々難しいだろう。

ここ最近だと、外国語学習の対象として韓国語を履修、ないし趣味で学ぶ日本人は一定数安定しているようになった。学びやすさだけでなく、文化的な親和性もその理由だろう。しかし、そこに感じる魅力は、根底的には自集団とは「異なるもの」が惹きつけてくる磁力に等しいものである。

依然として似たもの同士でも、時には衝突しあう「最も近くて、最も遠い」関係である。そのような「遠方からの隣人」といかに向き合うかは、テンプレート的に考えるだけでは不十分だ。生身の人間とだけ向き合うのではない。生きている文化、生きている言葉が海を超えた先にもあるという感覚を持つことが、何よりも重要なのではないか。「外国語」を学ぶのではない。他の「生きた言葉」を学ぶことを意識する必要がある。

「神は国家なり」:異端的国家論断片

初めに国があった。国は神と共にあった。国は神であった。 この国は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

国なきもの、それは同じ発音、同じ言葉を語らないものである。故に私は「裁かれた」。私が堕落した罪を悔い改めることも、〈救い〉を待ち望むことも、赦されない。

お前は〈神〉を信じるか。それに対して「アーメン」と告白することが、人の生を享受する条件である。もし、この「問い」で寡黙するなら、その人には〈死〉を与えられる。

ネイションは現代の「エデンの園」である。そこに住まう「天使たち」にとって、この問いに対する〈解〉の無知は、堕落に至る原罪なのだ。彼らにとっての(しかし〈不在〉なままの)〈神の名〉を言わないことは、彼らの創造主の否定になるからだ。

そして、この原罪は贖いの余地がないほどに重い「掟」破りなものだ。〈神の戒め〉とは、自ら住まう国の〈真理〉に立ち入って知ることをしないことだった。しかし、この「禁断の果実」を齧ることは、それが「虚ろ」だと異議を申し立てることである。その罪人に、〈キリスト〉が来ることはない。

God is national. In God we trust, we pray. Amen.しかし「神は死んだ」。ゆえに、「国は死んだ」。それでも、「私たち」は信じますという信仰心の篤い共同体が随所に偏在する。民は聖体、あるいは国の亡骸に泣き縋る。〈救い主〉が臨まれる日を待ち侘びながら。

ポストコロニアル的理性の虚しさ

 私自身、未だ理解が拙いものはあるが、〈帝国〉の時代・世界を取り壊す戦略の形は次のようになるだろう。いわゆるポストコロニアリズムの理論において、〈抑圧者〉の言語と〈非抑圧者〉の言語の対立図式がある状況を打破するためには、その二元論の図式とその根源を解体するべきだとされている。しかし、かつての植民地の人間の主張と思想が、旧宗主国の世界に回収されていくような構造は依然として根付く残るだろう。

 日本が、その例外に位置しているわけがない。旧植民地の人間、とりわけ中韓の人間は憎悪のサンドバッグとして、東南アジア系に対しては性的娯楽の消費の対象として、南アジア系はエキゾチックな料理人、あるいは逸脱者の烙印を鋳造するための型として、〈抑圧者〉の快楽を満たす手段になっている。支配された過去をもつ人間の歴史と伝統が、その支配者にとっての「ダッチ・ワイフ」として使用され続けるような構図は残り続ける。

 さて、感情論を抜きにしてポストコロニアリズム研究で言われてることは、本来ならば「支配者」だった国・社会の出自の人の方がよく理解できるはずだ。元々その人たちの曽祖父の世代が作った世界の構造を対象とした学問領域なのだから。一方、自分は〈帝国の遺産〉にアクセスできる非植民者の末裔である。そんな自己の形象を、〈抑圧者〉の世界に内在する〈非抑圧者〉のものとするのか、あるいは脱構築的な戦略で根こそぎ解体するものとするのか。いずれの認識にも心底疲弊してしまった。そうなるくらいならば、そのように存在する=生きる自分自身を〈抹消〉=消滅させてしまえばいい、と思う次第だ。

 なぜ、かつての抑圧者が味わっていた・味わい続けている〈恍惚〉に対してその非抑圧者が告発する図式にはまらないといけないのか。つまり、いつまで抑圧者の帝国的無意識に寄り添う形に収斂していく議論に自分は関わらないといけないのだろうか。何かしらの形で考えていくにしても、僕の人生でポストコロニアル的な話をするのはそろそろ引き際が来ていると思う。

根をもたないこと:「わたし」を否定的に構成していく生の営み方

 とある大学院のゼミに先生だけでなく、その恩師にあたる方も時折参加するようなものがある。その日はミシェル・ド・セルトーの「神秘的な発話」が題材であった。その内容に則って、中世のスペインと19世紀ドイツにおけるユダヤ人の他性についても議論された。その中で、その先生の恩師の方が「教え子が在日だというアイデンティティーを持っていて、だからユダヤ人の問題に関心を持っていると言ってましたね」と言っていた。その時、私はなぜかその言葉に自ずと心の中で燻られるような感覚を覚えていた。

 今日に至るまで、はっきりとした認識に基づいて私自身とユダヤ性を結びつけたことはなかった。しかし、その話の流れからして「自分ごと」でありえたかもしれないと感じた。つまり、私にとっての自己の形成の仕方としての〈ユダヤ性〉がありえたかもしれないと思ったのである。確かに、少なくとも幼少期からずっと「普通の生」の形式から隔絶された環境にいたのは紛れもない事実である。「ふつうに生きること」の枠組みが支配的な空間で生活しながらも、社会的には疎外されている状況の中に放り込まれていると、些細なことでもずっと考えていないといけない人間としての自分の姿は不可抗的にも出来上がりやすい。

 兎にも角にも、生来的に「ふつう」から漏れた生の事実とその証言は、今日でも異端の烙印を押すことを正当化する確固たる証拠にしかならない。
結局のところ、「ふつう」の生を生きることとは何を意味しているのだろうか。冗長な言い方をすれば、それは「ふつうに考えたらね、」、「ふつうならば◯◯なことするわけないよね?」といった文言の渦の中に身を委ねることである。後述するように、そのような発言・考え方の基底にあるのは、それぞれの共同体の脊髄となるネイション概念である。

 また「ふつうの人」として生きることは、社会に用意立てられた外因性を参照点として、「自分とは何者なのか」という問いの到達点が見えていることも意味している。言い換えれば、そのような共同性に自己を還元できること、「根をもつこと」が「ふつうの人」の条件なのである。一方、私はそのような「根」を下ろす場所がない。私は、実体もなく、根無し草のようにひたすら漂流していくだけなのである。

 なぜ、私は「根無し草」なのか。それはマジョリティーにも、マイノリティーにも自己を還元し得ないからである。近年、日本社会においてもさかんに論じられるようになった人種差別の公論においても、私は終始「部外者」なままである。というのも、その中で反差別の声を挙げて、「日本人」の認識論的な不正義を告発できるのは、依然として「目に見える」差異に起因する差別体験を被った「当事者たち」に限られているからだ。

 再三となるが、そのような言説の主語に来るのは、(目に見える)「よそ者」の属性である。だが、そこに内在する固有性は、視覚的な差異に基づいており、その問題の「当事者」なはずな私は(見た目は「日本人」と変わらないがゆえに)」その議論の部外者になる。すると、日本人として「見られない」自分に対する社会の不正義に憤っているはずの彼らもまた、可視化されない差異にも起きている差別の現状は顧みないというダブルスタンダードな社会正義の形が「真正なる」抗い方として受容される。

 多かれ少なかれ、社会に用意立てられた外因性を参照点として、「自分とは何者なのか」という問いの到達点が見えている。それによって、そのような自己と他者との間には「本来なら」共同性があるはずなのに、それでも自分は構造的に抑圧されている。よって、(私にとっての)「彼ら」は気づいていなくても、その反差別の姿勢は、日本という「ナショナルなもの」に帰属する権利の承認への意志の表れになる。

 はたして、差別の語りと視覚中心主義が結託していることに無批判なまま、「人種」差別を語り続けることは可能なのだろうか。また、そのような差別への抗い方にも、その原点となる認識は自集団にとって最適化されたものであるがゆえに、全体で見たときには誤謬となっている要因も混ざっているのはないだろうか。もとい、ここで言われるような反差別の前提には、ネイション概念に基礎づけられた自己と他者の構図が措定されていることが殆どだ。その枠組から徹底的に排斥された私は、その中の「わたし」でも「あなた」でもない。

 一概に言って、私の人格は常に「三人称的」であり、人となりが不確実な「誰かさん」としてしか成立し得ない。だから、私は常に自分の中に構えている「内なる〈ユダヤ性〉」について常に思惟しなければならない。したがって、(常に公正な観点を持つ者になりえないのは明らかではあるが)無党派的な形式でのみ、私にとっての「わたし」は構成される。繰り返しとなるが、この「わたし」は仮構的に存立するものでしかない。私という人間に付与された「わたし」は、至って虚構に等しい。しかし、その口から語られる〈声〉とは、私の自伝的な生の形式について陳述するために開示された〈真理〉と同等である。

 人生の早い段階から、私が共同体の伝統や慣習、共通認識やその場ごとの「ふつうならば」という感性に馴染むためのアクセス手段は生来的に遮断されている。だからこそ、僕は第三者的に知り、考えるという「特権」を享受できる。しかし、その視点も最終的には、「ふつう」の権威性の前では灰燼に帰する。とりわけ、多様性が叫ばれる今日なら、尚更そうだ。多様性とはいえ、「ふつう」の輪の中に包摂される対象を拡張することが最優先の命題なのだから。

 今もなお、半世紀前にサルトルが提起した〈ユダヤ人〉の問題は、いつの時代、どの社会でも引き継がれた「未解決事件」として現代社会の世相に憑依している。結局のところ、私はネイション的な「わたし」と「あなた」の構図から跳ね除けられた三人称的な、そして不特定の「誰か」にしかなれないのだ。このようにして、〈フィクション〉として作成されたはずの「わたし」でも、己については〈真理〉を語れる。なぜならば、私という人間もまた「生の事実」が常に記述されていく「書物」としての人間のあり方の例外ではないからである。そのなかに保管された記録に対する私の言及は、同時に私自身についての「真実」の証言なのである。