哲学を実践する生を送るために

 将来のことを今考えても、所詮取らぬ狸の皮算用でしかない。だが、ひとまずは博士までなんとしてでも行く。問題なのはその後。今後も終生アカデミアの世界の人間として留まるか、それとも何かしら社会で生きる術見つけながら「在野」の人間として研究の成果を発し続けるか。すごい考えどころではある。

 依然として、僕は研究者として生きるのは魅力的だと思う。とは言いながらも、それより哲学者として自分の生をどのように過ごすのかを考え、それを実践する生き方が自分の性にあっているように思える。例えば本に関わる仕事をするがてら、日々湧き出るアイデアや、読書の記録を元に形にしたものを、ぼちぼち自分の本として世に出すやり方とか。これも場合によってはありだろう。

 そもそもの話だが、自分の考える「哲学の姿」は、第一に真理の探求である。その上、粗雑な言い方をすれば、無知のベールに抗うための「戦闘機械」でもある。生来、リアリストな観点であらゆる事象に価値判断を下しがちな自分ではあるものの、多元的な所与の在り方に応じて有機的に己の認識を生成することを心掛けたい。

 ひとまず「哲学研究者」は一旦やってみる。それでも、やはり自分にとって哲学に携わることの最大の目的は、延々と文献を掘り下げていくだけではないと思っている(もちろんこれも大事)。なんだかんだ言って、あれやこれやと自分なりの「パレーシア」の姿を試行錯誤しながら探していこうと思う。