読むこと:「来たる知識」に常に備えるために

 哲学、また人文・社会科学において多読すること、あるいは文章に自分を慣らす経験値が高いことの必要性はれっきとした事実である。とはいえ、そのように定量的に蓄積した成果としての「知識」(knowledge)だけでは、心許ないように思える。なぜなら、「知っている」以上のことは語り難くなりやすいからである。

 また、過去の知的な蓄積の量は、未知なる事物、別の言い方すれば来たる知識('knowledge-to-come')がその人の世界観を揺らがすことへの覚悟(readiness)と必ずしも比例しないと考えられる。考えていることに関しても、また既存の枠組みの中に適合する形でなされやすい。

 それを鑑みると、単に知ることだけではなく、以下のことを考えることもまた必然的に欠かせなくなってくるだろう。つまり、読むことの質についてである。読むことの質は、現前にある書かれたテキストの文脈を斟酌しつつ、それとはまた別の文脈・テキストとの複合的な相関性が繋がる可能性を高めることを念頭に入れた時に意識されるようになる。

 また、読むことの質は、読むことの量と両極的な形で補助的に相互に作用し合う関係性に置かれるのが理想的だろう。「現在進行形の知性」、あるいは「実現された、生きている知識」は、そうすることで「未来形の知性」、またの名を「生まれてくることが、あり得る知識」と共生することが可能になる。

 故に、そのような合理的な想像力(rational imagination, cf. Whitehead, 1929, Chapter 1)は、「ハイパーテキスト的な」知性を創造する力を有している。既存の知識を系譜的に継承しながらも、その知の枠組みから脱却しては、またの姿を再構築することを考えられるようになること。「読む力」は、そのような力動的で強靭な知性を養うための技術だと考える。

参考文献:Whitehead, A. N. (1929). Process and Reality, an Essay in Cosmology.