今年の振り返り:学術的に辿ってみる。

この年は、やっと5年半(!)通い続けた某W大学から9月に卒業した記念碑的な時期となった。そんな僕の頭の中を構成する興味ごと、学術的な探究心の様相もまた変わっていったので、今回はそれを四半期ごとに追ってみるとする。

 

【1月〜3月】

 

ひたすら卒論の執筆に明け暮れていた。当時の題目は「社会的表象に基づく民族間の差異について」だった。理論として使っていたのは、S・モスコヴィッシの社会的表象理論(Social Representation Theory)、フロイトによる「小さな差異のナルシズム」等。日本人と韓国人は、見た目が類似している点で「いっしょ」なのに、なぜお互いに反発しあうことで、敵愾心に基づいた「自己」を確立しようとするのかについて論考する予定だった。だが、それも色々こちらの不準備が重なりすぎて、執筆作業が停滞する。

 

【4月〜6月】

 

そこで心機一転、精神疾患に関する社会的認識のあり方について論考する卒論を上梓することにした。なぜなら、僕自身が精神的に調子がすぐれず、(後になって分かったのだが)適応障害の症状に苛まれていたこと、それをめぐって周囲の無関心や嫌悪感を示唆するような態度に失望し、落胆したからである。タイミングも折り重なったのもあり、この「原体験」を言語化できればと思い、この問題に取り組むこととした。社会的表象理論を継承しながらも、今度はミシェル・フーコー、ジョルジュ・カンギレム、木村敏、アーヴィン・ゴフマン等の理論・思想を援用して論考を立てた。客観的な評価はどうであれ、卒論自体は出来栄えのいいものになったと思う。

 

【7月〜9月】

 

卒論の提出も終わり、夏休みに入る。暇だ。何か本でも読み漁るかと、考え思い当たる限りいろんなジャンルにあたってみることにした。とはいえ、どれももっぱら哲学でしかなかったが。ハイデガーレーヴィット、または社会学的観点に典拠したアルフレッド・シュッツらによる現象学、そして卒論でも取り扱った精神疾患の哲学的論考を深掘りすべく、フーコーの「狂気の歴史」やカンギレムの「正常と病理」の再読、関連する2次文献を読んでみたりとした。精神病理学精神分析等の書籍もこの頃から本格的に読み始める。

 

【10月〜12月】

 

卒業した後も、読書生活は続く。この時期は、フランスの現代思想を中心にさまざまな分野に目が開いた時期だった。フーコーはもとい、ベルクソンラカンドゥルーズデリダスティグレール、シモンドン...その他、枚挙に遑がない。バシュラールを中心としたエピステモロジー(科学認識論)から始まり、、ドゥルーズのシネマから、映画理論の面白さ、ソンタグの写真論、ロラン・バルトやリクール等の文学・言語理論、ヤコブソンとバンヴェニストらによる一般言語学など、その好奇心が満たされまくった時期だった。

 

【これから】

 

今後の進路として、大学院入試を受けることを決めている。精神疾患を対象とした、エピステモロジーに特化した研究を構想していくつもりである。その上で、今までえてきた学識や綴ってきた論考、またはいろんな人との対話を通して綿密に将来の研究生活を計画していきたい。

 

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